理念情報

 「瞑 想 録」
Japanese Dream Realization



「三法印に観る時空間論と光明荘厳の境地について」



 諸行無常は誰でも分かることであるが、諸法無我は誰でも分かるとは限らない。この双方の真理が悟れたら、涅槃寂静の境地に到るわけであるから、諸行無常を時間論として、諸法無我を空間論として把握したいと思う。

 諸行無常ということは、すべての存在に時間が内在されているということであり、時間とともに移りかわってゆくということである。これは、プラス思考で考えてゆけば、「あらゆる面において、善くなってゆくしかないのである」という、善転してゆくという観方もあるであろう。

 諸法無我というものが空間論であるとすれば、特定の空間は本来はないということではないかと思われる。縁起というのは、原因と結果によって成り立っているということであり、空間それ自体は、本来、原因と結果の集積であって、「依他起性」、すなわち、他のものがあってはじめて存在するものであって、本来ないものであるということなのである。

 現象としての時間空間の座標軸で考えてゆけば、そこにあるものも、まず第一に、時間によって移りかわってゆくものであり、第二に、空間によって(特定の原因によって)移りかわってゆくものであって、本来ないものであるといえるのである。例えば、恋愛現象に夢中になっている人がいても、時間的にいえば、早くて半年、永くて五年経てば、その恋愛もなくなっていることが多いであろうし、空間的にみれば、何らかの条件でたまたま好きになっているだけで、例えば、転校をすれば、条件がかわって、その恋愛もなくなっているということである。これは、逆にいえば、時間をまち、空間をかえてゆけば、自分自身の執着をコントール出来るということなのである。

 これは、恋愛現象にとどまらず、すべての執着についていえることであり、すべての執着から無執着になるために、時間を観じ、空間を観じてゆくことが、仏教の基本論であるともいえるのである。多少、科学哲学的な把握になっているものの、仏教の中には、確かに文証理証現証にいう「理証」があり、その「理証」の内容を文章化できるもの(文証のこと)なのである。

 また、これとは逆に、現象論ではない実相論についても述べておかなくてはならないであろう。実相というものは、時間によって変わらないものであり、空間によって変わらないものである。例えば、マルクス・アウレリウスの御人格や真理性や御本などは、古代ローマ時代と現代日本では時空間が全く違うが、変わらないであろう。同じように、変わらない個性的理念(イデア)に対して、親愛の情をもつことこそプラトニックラブの本質であり、理念(イデア)的実在の本質であるといえるであろう。その方の魂の「根源的なID」は、そう変わるものではないので、その方の独自の個性的イデア、個性的理念を愛してゆくことは、先程の涅槃寂静の無執着の境地を超えて、光明荘厳の真空妙有の境地であるといえるのである。このように、「真空」とは、「不生不滅、不垢不浄、不増不減」な個性的理念(イデア)であって、本来、生一元、本来、浄一元、本来、増一元であるといえるのである。

 かの「愛の降臨」のエロスの愛の発展段階説も、角度を変えてみれば、「空」を基にして、無執着の境地から真実在の光明の境地に到るまでに、「空」の理念の革命のプロセスについて述べているともいえるのであり、無執着中無尽蔵なるイデア(理念)恋愛は、本来マイナスがなく、プラス一元であり、お互いに活かし合う愛であるといえるのである。

 さらに、光明思想的にいえば、時間的にますますよくなってゆき、歴史を育み、空間的にますますよくなってゆき、年輪を育んでゆけば、真空妙有、光明荘厳の境地として、真に繁栄大革命を成就してゆくことが出来るのである。



〔 光明祈念歌 〕
安敦の
古代ローマの
風姿こそ
不垢不浄
変わらぬ実在
(貴)



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