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| 「瞑 想 録」 | |
| Japanese Dream Realization |
| 「『法身』としての真理が永遠普遍であることについて」 |
| 仏教の本質は「真理」にあり、「大宇宙大自然の理法」を認識し、悟得し、具体的生活において実践しつづけてゆくことにあるといえる。すなわち、「法身」としての目に観えない(「六官」を超越した)真実在としての「仏」こそが、その本来相なのである。 その意味において、仏像を偶像崇拝のように拝んでいるのは、一つの方便にすぎないのである。「法身」としての「真理」は、本来「永遠普遍」のものであるから、「法身」の「仏」こそが、イスラム教でいえば、「アラー」にあたり、ユダヤ教、キリスト教でいえば、「ゴッド」にあたるといえるのである。それ故に、「真理」が「真理」である以上、本来「真理」は「一なるもの」なのである。 神道でいう所の「天御中主神」の本質も、その御名のとおり、「天の中心を統べる理法」、すなわち、「大宇宙大自然の理法」そのものであるといえるのである。それ故に、あえて「之」を入れ、「天之御中主神」として、その「法身」としての本質が、古事記の冒頭に記されているのである。 「真理は汝を自由にせん」と聖書に述べられているが、「真理」とは、人間の内在せる理性に光明を点じ、「理性的自由」を「心の王国」の中に確立させてゆく所に本質があるといえるのである。それ故に、「真理」とは、本来人間を縛るものではなくて、人間を解放するものであり、厳密に言えば、「原罪」や「業」と呼ばれているものから解き放ち、「神」へと自由自在に飛翔させてゆくために「実在」しているといえるのである。 それ故に、「真理」を徹底的に信頼して、一見「矛盾」したようにも観え、「多様」にも観える諸思想、諸宗教の本質を、一つ一つ丁寧に拝み出してゆけば、真に心が豊かになり、人生や世界そのものが宝の山に観えてゆくのである。 |
| 〔 光明祈念歌 〕 | |
| (貴) |