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| 「瞑 想 録」 | |
| Japanese Dream Realization |
| 「絶対理念としての『神』を理性的に探究してゆくことの美徳について」 |
| 人間は、果して何によって「神」を認識するのであろうか。それは、自己内在の「神」によってである。「神」が「神」を認識するのであって、「神」であるからこそ、「神」を認識出来るのである。 しかし、人間は、必ずしも「神」を認識しえないことが多い。何故なら、「神」の本質は、心の奥底に内在され、潜在されているからである。本来、理性というものは、「神」の本性であり、「神」を、「理念」(絶対理念)として認識しうるものである。 何故なら、絶対理念としての「神」より理性が派生しているものであり、理性の還る本源もまた、絶対理念としての「神」であるからである。この本来の絶対理念としての「神」と、人間の開発している「理性」的認識の間には、当然ながら非常な隔たりがあるので、人間は、「理性」的認識をどこまでも探究しながらも、「神」を信じ仰ぐ態度が生まれてゆくのである。 本来、「神」を「理性」的に探究してゆくこと自体、遠大な冒険であって、たいていの方々は、歴史的名声や歴史的権威等に頼って、「神」を認識したつもりになっているだけであって、本当に、「神」に対して、「絶対理念」に対して、理性的に探究してゆこうとするならば、その過程自体が、一つの哲学体系となってゆくものなのである。 それ故に、絶対理念としての「神」を、どこまでも敬虔に、かつ理性的に、己が良心に従って探究してゆくことは、人間の文化的営為の中で、最高のものであるといえるのである。 大宇宙大自然を貫く理法としての「神」を、限りなく無私に信じ仰ぎながら、自己自身の心の内奥なる大宇宙大自然の理法を、限りなく心虚しく探究しつづけてゆくことは、その過程そのものが、天の栄光を帯びて、光輝いてゆくものである。 |
| 〔 光明祈念歌 〕 | |
| (貴) |