「空間」の概念を、三次元世界(縦、横、高さの三つの座標の世界)としてy座標として把握し、「時間」の概念を、三次元世界に加えるさらなる視点としてx座標として把握すれば、その「宇宙」は、四次元世界である。
人間の万物の霊長たる故の一つは、三次元世界に加えて、明確に「時間」の座標を意識することが出来ることにもあるといえる。これは、仏教哲学においては、「眼耳鼻舌身意」の「六官」の内の、「意」識によって把握される「眼界。乃至無意識界」の、「六界」の内の「意識界」に該当するものである。
ギリシア哲学においては、ヘラクレイトスが、「万物は流転する」という「諸行無常」の真理を発見提唱されたことは有名であるが、これは、人間が「三次元世界」の中に「四次元世界」を発見したという哲学的洞察を意味しているものであって、「万物(諸法ないし諸行)は流転しない」という臆見(ドグサ)について、叡智(エピステーメ)の観点から看破されたものである。
一方において、ユークリッドやピタゴラス等、数学的真理について探究されている方からみれば、「万物は流転する」という現象界の「法則」があるとすれば、それは、逆説的に、「流転しない」永遠普遍の「実在」であるから、永遠普遍なる「法則的実在」について探究してゆこうという根本的視座がうかがえるのである。先程の時空間の座標も、現象界に「法則」が「実在」していることを前提としている点で、始めから、ユークリッドやピタゴラス等の数学的真理の立場に立っているといえるのである。
まず、これら二つの真理、すなわち、「万物は流転する」と「法則は実在する」を前提とした上で、これらが、俗にいう「この世」(現象界)についていえるものであるという視点に立って、リーマンの「幾何学的対象」、すなわち「n次元多様体」について哲学的に探究してゆけば、さらに有益なことであろう。 |