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| 「瞑 想 録」 | |
| Japanese Dream Realization |
| 「『空』の哲理と『ゼロ』の哲理について」 |
| 〜空の形而上学〜 |
| 「空」の哲理を数学的に観ずれば、「ゼロ」(0)に該当するものである。そして、「ゼロ」というものは、形而上学的な哲学概念であって、ただ単に、数学的基底に留まるものではない。そこで、「ゼロ」の哲学を考察してゆくことを通して、「空」の真義を探究してゆきたいと思うのである。 まず「ゼロ」とは、単なる有でもなければ、単なる無でもないものであることは、自明の理である。それは、明らかな「実在」であり、さらに言えば、「究極実在」であるといえる。 般若心経によれば、「空相」とは、「不生不滅」、「不垢不浄」、「不増不減」の世界である。これは、数学的に考えてみれば、ある面において当然のことである。 「ゼロ」の基点においては、生(+)でもなく、滅(−)でもなく、垢(+)でもなく、浄(−)でもなく、増(+)でもなく、減(−)でもない世界が開けているからである。この「ゼロ」の宇宙観こそが、般若の「叡智」の立脚点である。 この「ゼロ」の立場(叡智的立脚点)に立って、この現象世界の全てのものを観じた時に、例えば、「1」に「ゼロ」を掛ければ「ゼロ」になり、また、「−1」に「ゼロ」を掛ければ「ゼロ」になるように、すべてのすべての諸現象は「ゼロ」に成ってゆく(成仏してゆく)のである。これが、「空中」世界における「無」の真義である。 そして、全ての全てを「無」と観じ、「空」の世界、「ゼロ」の世界に常に悟入しつづけて居れば、その悟りこそが「大悟」であり、「三世諸佛」の境地であるといえるのである。 |
| 〔 光明祈念歌 〕 | |
| (貴) |