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| 「哲学的コラム」 | |
| Japanese Dream Realization | |
| あとがき |
| 天の摂理というものは、人生の営みにおいても、歴史の営みにおいても、底流において、実在として流れているものである。或る時に、人間はそれを運命と呼び、また、或る時には、それを業と呼び、人為を超えたものとして、畏敬の念をもって眺めている。 近代国家が様々に成立し、近代文化文明が興った時にも、人間は、人間自身の尊厳を自覚すると共に、人為を超えた天の摂理を自覚したといえる。かつて、ヘーゲルは、フランス革命を中心とする世界の激動期の内に、人為を超えた時代精神や、世界精神を観じておられる。 そして、それは、人間的自由の発露としての、人間の内奥に実在している天の摂理(天命)からの要請によって、主体的に実現されてゆくという点において、真なるヒューマニズムにも通じている。 そこで、私が主として着眼したのは、思想家の預言者的役割である。すなわち、真なる思想家は、ただ単に人為的にだけ思索しているのではなく、人為を超えた天の摂理に従って、天命の声を翻訳して、書物につづられているのではないかということである。 近代日本においても、吉田松陰や、福澤諭吉や、中江兆民等の思想書には、背後から天の摂理が働き、天の声が、時代精神として聴こえるような所がある。そして、真なる天命に目覚めた思想家こそが、様々な分野の真なる哲人に影響を与え、新しき文化文明を創造してゆくものなのである。 それ故に、哲学思想が軽視されている現代において、真なる新時代を創ってゆくために、新しき哲学思想のルネサンスを、新生日本建設、新生地球建設の源流を創るものとしてなしてゆくことこそ、真なる時代精神の要請であり、様々な運命や業を真に立命し、運命の開拓をなしてゆくことになるであろう。 本書が、新しき哲学思想ルネサンスを開花してゆく、ささやかな契機になれば幸いである。 |