理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「主権在民の時代潮流と哲人王の思想について」



 世界の主な政治思想の潮流は民主主義であり、日本国憲法もまた、主権在民の政治思想を根底にもっている。かつて、フランシス・フクヤマ氏が、「歴史の終わり」という著で、ヘーゲル流の歴史哲学の終わりについて述べられているが、基本的には、世界史の主な潮流は、主権在民の民主主義にあり、この制度の内実が、より洗練されてゆく形になってゆくであろうが、基本的には変わらないであろう。

 このような時代背景にあって、預言者が顕れ、天意が顕れるとしたら、やはり、主権在民としての民間人の中ではないかと思われる。何故なら、主権在民の憲法にある以上、最も権力の正統性のある民間に天意が顕れるということは、最も影響力を全うしやすいからである。

 その意味において、かの福澤諭吉翁のように、預言者的な思想家が現れても、在野精神を発揮して、民間に身の中心軸を置く方が、より時代に適していると思われる。そして、自らの哲学、信条、信念に共鳴する方々を養成して、そうした方々が、具体的に政財界で活躍する方向で影響力を全うしていった方が、より一層、思想の著述に専念出来てよいかもしれない。

 一方において、プラトン的な哲人王の思想等があるけれども、現実においては、思想家や哲学者は、自らの領域を中心軸として活躍した方が、より効果的な仕事をなしてゆくことが出来るであろう。しかし、何らかの形で、思想家的哲人的要素を有した方々が数多く政財界に携われるということは、今の日本国の現状を踏まえた上で、最も欠けている視点ではないかと思われる。

 その意味において、かつて、キケロや、セネカや、マルクス・アウレリウス等を輩出した古代ローマ帝国の政治風土には、見直されるべき点が数多く実在しているのである。



〔 理念光明祈念歌 〕
春の灯を
民に掲げる
哲学の
糧は麗わし
魂の活く
(貴)



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