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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「『剛さ』の根底にある平静心について」 |
| 心の平静さというものは、忙しい生活の中においてこそ、積極的に創造してゆかなくてはならないものである。心を剛くしてゆくということと、心を平静にしてゆくということは、本来一つである。心が常に平らかであるということは、精神的な剛さの証であり、精神的な不動心の証なのである。故に、心を波立てない精神の実力というものも、よく培ってゆかなくてはならない。
平静心を常に保っていられるということは、精神的な努力の成果であり、どのような環境にも流されることなく、常に平静な心の原点に回帰しながら、自己の立脚点を見つめなおしてゆくということは、忙しい環境に生きるリーダーの方々ほど、とってゆかなければならない精神態度である。 「動」と「静」というものは、どちらも使いこなせるのが真に柔軟なる精神である。「動」が「動」としての真なる剛さを発揮できるのは、確固とした「静」に裏づけられている時である。故に、一人格の内に、「動」と「静」の双方の精神的実力を培ってゆくことこそが、「動」的な環境に生きる方にとっては肝要なことなのである。 時流に乗り、忙しい現実の流れの中に適応してゆきながら、同時に、あらゆる現象の流れを達観し、あらゆる現象の流れに影響を受けない部分を培ってゆくことこそが、真なる「無用の用」の部分を創ってゆくことであり、精神の内に「玄妙」なる部分を創ってゆくことである。そうすると、「玄妙」なる「静」の部分こそが、実は顕れている「動」の部分の根本であることが分かってくる。 「顕」なる部分が真に活きるためには、「幽」なる部分が必要であり、意識的に「幽」なる部分を創出してゆくことによって、人格のバランスをとり、言動のバランスをとってゆかなくてはならないのである。 真なる「剛さ」というものは、「幽」なる「静」に支えられてゆけば、さらに「剛さの実相」を顕現してゆくことであろう。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |
| 〔 素直哲学光明祈念歌 〕 | |
| (貴) |