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| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「独立自尊精神を育む真なる実学の考え方について」 |
| 本来の大学とは、哲学的真理を基礎にして創られているものである。そして、本来の博士とは哲学者の証であることが、その称号に顕れているのである。 さらに、本来の実学とは、真理を応用してゆくことであって、真理とは関係のないことを教えてゆくだけでは、真の実学ではなく、単なる技術教育なのである。真なる実学の精神とは、本来抽象なる真理を、具体的現象的事件や事実に応用して、具体的解を与え、具体的解へと導く過程と方法を学ばせてゆくことにあるのである。 そして、哲学的真理、すなわち学問の本質というものが、抽象的で、難解で、実社会と実人生の役に立たないといわれていることが実は俗説であって、本当に虚心担懐に真理を探究し、悟ってゆけば、真理はあらゆることに自由自在に応用出来、あらゆることに根底から意味と価値を与え、ある時には、根底から実社会を真に変革しうるものであるということが分かってくるようになり、そこに、真なる哲学的悦びと学問的悦びを憶えてゆくようになるものなのである。故に、哲学の門すら叩かない大学生がおり、大学の先生がおられるということは、本来論理矛盾することなのである。 そして、哲学の根本は、人生の真理と世界の真理を探究してゆくことであり、その両者によって、人間は「いかに生くるべきか」ということを根底から問い直し、己が人生の根本設計を考え始めてゆくことが出来るのである。 特に、十代後半から二十代前半にかけて、「いかに生くるべきか」ということを、人生観、世界観として深く探究してゆかなければ、その後の人生において、主体的に考え、思索し、意思決定してゆくという独立自尊の精神を保ちつづけながら、「善く生きる」ことを続けてゆくことは、不可能に近いのである。その意味において、将来の大器は、十代後半から二十代前半への真理探究への姿勢によって育まれるともいえるのである。 真剣に人生観を根本から論じ、世界観を根本から論じなければ、真なる「自己」の基礎を築いてゆくことは出来ないのである。たとえ、即座に答えがみつからなくとも、この時代に衆知を学び、真剣に思索した成果は、やがて四十代五十代になれば、如実に顕れてゆくことであろう。 その意味で、本当のリーダーを育むためには、本当は国家百年の大計と同じく五十年程かかるのであると念いを定めて、人格の尊厳について圧倒的に探究する時間と空間を、青春の時代に充分に投資しておくことの大切さを力説してさしあげなければならない。 実社会のリーダーとなり、多くの方々の役に立つための判断力を養うための真理を、高く、広く、深く、柔軟に探究してゆくことこそが、真なる実学の精神であり、大学と大学生の使命なのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |