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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「哲学によって真に新生する国家と人間像について」 |
| 哲学的真理の真髄が悟れない方のみが、哲学は現実社会に無用であることを説く。禅問答や般若心経の真髄が悟れない方のみが、宗教的悟りが現実社会に無用であることを説く。国家的真理としての政治的真理や経済的真理や法学的真理の真髄が悟れない方のみが、国家における理念の不在について無関心になれる。 それは同時に、人間そのもの、自己そのものの内奥にある真理を否定することと同じであり、魂や精神の根底的実在を否定することと同じであり、自己の価値と、国家の価値と、地球の価値と、宇宙の価値を否定することと同じである。厳密にいえば、否定しているのは、真理としての理念の体系が「観」じえないからに他ならない。 神の創られた真実在としての「神の国」の根底には、理念の体系としての真理が実在することは、当然の理である。仏の創られた真実在としての「仏の国」の根底には、真如の体系としての法が実在することは、当然の理である。 このような根本実在を根底から否定し、否定された真理について批判精神を真にもつこともなく、神の国、仏の国、理念の国、真理を真に発見することなく、国家を愛することを真理を通してではなく、人間を愛することを真理を通してではなく、どちらかといえば、即物的なものとしてのみ、肉塊的なものとしてのみ愛することに違和感を感ずることが出来なかったのが、戦後五十年の日本精神の本質の一つである。 「人はパンのみによって生くるにあらず。神の言葉(真理)によって生くる」という根底的真理が充分に探究されず、むしろ探究されることを恥じてきた時代というのは、何と国家にとって汚濁に満ちた時空であったことか。その過程で、日本は「エコノミックアニマル」と呼ばれ、実際にそれを代表する人物像が数多く流行した。これらの現象が、転倒妄想でなくて一体何であろう。「有」と「無」に執われた「虚無」でなくて一体何であろう。 真なる哲学こそが、真に人間の内に価値(理念)を復権し、国家の内に価値(理念)を復権し、新生日本建設と新生日本ルネサンスを推し進めてゆく原動力となってゆくことであろう。人間が人格の尊厳を真に獲得し、国家が国家の尊厳を真に獲得するためには、限りなき精神的努力精進が必要なのである。 日本国に、これより後、真なる哲学が復権され、哲学的真理が入魂されることによってこそ、日本国も、日本人も、全地球の方々も、真に救われ、その真姿を取り戻し、その本来の繁栄と平和と幸福を取り戻し、新時代を創造してゆくことが出来るのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |