理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「坂本龍馬に観る『幼児』の心について」



 モーツアルトの調べは、人の心を開放的にする。モーツアルトの心のあり様は、「幼児」のようであるが、モーツアルトの創られた曲は、人の心を「幼児」にする魔法がある。モーツアルトを聴く習慣のあられたゲーテの詩も、どこか人の心を「幼児」にする魔法がある。アインシュタインも同じように、モーツアルトの響きをその天来の仕事の中に響かせておられる。

 かつて、イエス・キリストは、「幼児の如くなければ天の門は開かない」と説かれたが、「天の門」としてのインスピレーションは、「幼児」の如き心境を通してこそ、真に得られるのであろう。人間は、ともすれば大人になり、実社会に出て、実人生を生きんとして、ともすれば幼児の如き本来の自己を忘れてゆく。しかし、幼児の如き本来の自己を積極的に取り戻す努力をしてゆかなければ、真に「天来のインスピレーション」を受けることは出来ないであろう。

 その意味で、「心の休日」を積極的に設けてゆくことが肝要である。それは、心を自由の大空へと開放してゆく「空気」を、意図的に創ってゆくということである。開放されたものが、芸術的に昇華されてゆけば、さらに素晴らしい。ルネサンスの潮流とは、そのような素朴な願いと希望から始まったものではないだろうか。

 天使の絵は、どれも基本的に「裸体の幼児」のように描かれているが、その方々の本質は本当にそのようなのであろう。人間が天使となるか、天使が人間となるかすれば、そこに「神の国」が顕れてゆくことであろう。

 かの坂本龍馬は、「吾れは天の使いにして」と手紙につづられている。「アイアムエンジェル フォー(for)」というのは、あまりにも直接的な表現で面白い。坂本龍馬に、縁結びの天使として、バレンタインデーに御活躍願いたいものである。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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