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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「『理念三権分立』の哲理と『絶対無』の場所の意義について」 |
| 「統合」精神とは、「絶対無」の場所のことであり、「絶対空」の場所のことである。それは、「統合」理念であり、「中心」精神である。この「中」があるからこそ、「三」権分立が真に活きてゆくのが天の理法である、というのが、日本の国体の哲理を探究してゆく上で大切な視点である。
本来「立法」権も、「行政」権も、「司法」権も、お互いを活かし合うために実在するのであって、お互いを相殺し合うために実在するのではない。何故なら、相殺し合えば、全体としての国益を損い、全体としての地球益を損ってしまうからである。 この三権は、「無」の場所において、神社の象徴のように、循環的に活かし合い、生命を鳴動させてゆきながら、無限無数の生命を創造してゆくのが日本的哲理であり、同時に大自然の哲理であり、大宇宙の哲理であり、大自然、大宇宙の摂理に相応して運用される時期に、真に三権が、神聖なる「公」の三権として幸え、大いなる繁栄を通した平和と幸福の源となってゆくのである。 ここで、「絶対無」の場所が積極的に実在する方が、よりよく三権が機能しやすいのである。意識的に「無」「空」「大和」(「ゼロ」)の場所を設けてゆくことによって、三権の実相的生命が拝み出され、本来の機能を、より健全に、より柔軟に、より闊達に発動しはじめるのである。 そのことによって、一つのものを三つに分けたという効果ではなくて、「無」において、三つに分けられたものが一つの時期以上の働きをするという意味において、そこに真なる繁栄と平和と幸福が、大いなる「理」の顕れとして幸えてゆくのである。 「統合と個性の開花」「秩序と自由」という理念は、三権分立の精神の中にも、「理念三権分立」の哲理として応用され、天の栄光の源となってゆくことが出来るのである。すべては、「絶対無」の場所のもとに、善くなってゆくしかないのである。 |