理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「行為即直観 直観即行為たる生命の文化について」



 心と身体というものは、本来統一されているものである。身体器官によって見られたものが心に働きかけ、心によって働きかけられたものが、自然に身体に現れてゆくからである。しかし、このことを、「脳」を中心とした唯物論につながる論拠とすることは、未だ哲学的科学的認識が充分でないといえる。

 何故なら、「見る」ことには段階と多様性があり、「心境」があり、その意味において、「見性」というものが実在するからである。この「見性」こそが、悟りの現れであり、悟りこそが「観」の根本であり、「観」という認識論が実在すること自体、本来物質的肉体を超えた魂的実在、神性的実在、仏性的実在、理性(理念)的実在を経験的に実証しているからである。

 これを、西田哲学では「行為的直観」というが、行為即直観であり、直観即行為であるのが生命の実相である。ここに、理念美学の根本があり、理念芸術の根本があるのである。すなわち、身体表現に顕れている芸術性の中にも、理念的なる「観」、悟りの証としての「観」が実在しているからである。

 故に、身体で表現される人間的営みの中には、自然とその方の「人生観」なり、「世界観」なりが、如実に顕れてゆくものなのである。その方が一体何を「観」ておられるのかということは、身体的表現として顕れ、その方が一体何者であるのかということも、身体的表現として顕れ、その身体的表現をさらに「観」る方と相互作用をして、本来の「真象」たる「理念」が顕現されてゆくものなのである。

 故に、理念芸術(文化)が実在すること自体が魂の証明であり、神々の証明であり、生命の証なのである。伝統的な仏像芸術等も、現実実在としての「理念」と、「魂」と、「生命」なしには、成立しないものなのである。「行為的直観」の奥に、新時代の理念芸術があり、新時代の新生日本ルネサンス、新生地球ルネサンスの源が実在しているのである。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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