理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「『喜捨』の精神と武士道精神について」



  「喜捨」という信条は、布施の精神の基である。慈悲の精神の基である。そして、武士道精神の基である。

 「喜」ということは、自我に対する執着を空しくするということであろう。そして、捧げるものに対する執着を空しくするということであろう。無償であり、見返りを求めないということであろう。

 「捨」ということは、愛を与えるということであろう。ある時期には、自己犠牲的な精神となって顕れるかもしれない。しかし、「喜捨」という言霊の内に、私は限りなく朗らかな日本的心情の美徳を感ずるのである。

 布施というものは、基本的に自主的な「真心」が最も尊ばれるものである。「真心」をもって、純粋に自分自身に出来ること、なしたいことをもって尽くすことには、深い法悦に包まれることであろう。純粋に与えきることによって、天から真に与えられることであろう。そして、後世の方々は、自然にその方の徳を讃えられることであろう。

 日本の歴史の中には、「喜捨」という言葉を用いずして、「喜捨」としての武士道を実践された方が多くおられる。それは、日本の美意識と日本的芸術を探究してゆく上で、大切な眼目であろう。

 そして、智慧をもって自他共に活かす、中庸、中道の道において、無償に与え合うことが出来たならば、仁智勇の大調和の精神のもとに、大和(やまと)の国が幸えてゆくことであろう。

 日本精神の中に深く息づいてきた「真心」の中には、「喜捨」としての奉仕の精神が息づいている。それは、仏教や、儒教や、キリスト教が入ってくる以前から、脈々と流れていた精神的伝統なのであろう。大和魂も、大和心も、大和(やまと)の国を形創る一つの精神的大河なのであろう。

 言葉以前の純粋精神、宗教以前の純粋精神が、この「国のかたち」を自然に醸成してきたし、今後も醸成してゆくのであろう。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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