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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「言挙げしない国の仏の御姿について」 |
| 「華厳教」というものは、釈尊が説かれた時期に、普賢菩薩御一人しか悟れなかったという。「華厳経」の真髄とは、大宇宙の真理であり、大宇宙の根本仏と一体となった人間観、世界観である。伝説によれば、この「華厳経」は、その後、竜宮界に眠ったままになっており、竜樹菩薩が地上に経文をもち返られたという。 そして、日本においては、明恵上人が、その真髄を引き継がれている。そして、面白いことには、明恵上人が「華厳経」を説かれることを、春日明神や住吉大神が悦ばれ、瞑想禅定の内に、文殊菩薩や、普賢菩薩や、不動明王や、吉祥天等に生きながらにして対面され、会話を交わされている数多くの史実が遺されているのである。 密教の方では、仏と般若菩薩(観自在菩薩)と不動明王は、一体の如来(真如)の顕れであると説かれているが、普賢菩薩も、竜樹菩薩も、明恵上人も、本来如来の方が地上に肉を受けられたのであろう。 明恵上人は、観自在菩薩として六大神通を兼ね備えておられた上で、「空」の立場、「中」の立場に立たれて現実の衆生済度のために尽力され、政治的にも、北条泰時の御成敗式目の作成に貢献されている。同時に、「天皇の原理」についても説かれているので、諸神、諸仏の御加護を受けられた日本武士道の祖の御一人といえるであろう。 あえて大教団を組織されなかったが、その清浄柔和なお人柄と、仁智勇の御徳は、新時代の国際日本文化に大いに貢献されることであろう。「あるべきようは」(あるべきやうは)の光明真言は、中庸、中道の精神の真髄である。 そして、「悪人なほ隠れたる徳あり。況んや一善の人に於てをや」という、御一人御一人の仏性、神性、理性、良心を拝まれ、大自然のすべての生命あるものを慈しまれる御姿は、言挙げしない国日本にとって、永遠の仏の生命の御姿を黙示しつづけられることであろう。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |