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| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「ローマ彫刻と理念神像の型について」 |
| ローマの彫刻の美意識の中にも様々なものがある。質実剛健を旨としたアキレウス像のようなものもあれば、優美繊細を旨としたアンティノス像のようなものもある。これは、日本的にいえば、賀茂真淵のいわれるような「ますらをぶり」と「たをやめぶり」にあたるようなものであろう。
故に、ローマ的なルネサンス精神と、日本的なルネサンス精神を止揚してゆくにあたっても、その様式は一通りではなく、幾通りもの「型」が必要となってゆくことであろう。仏像彫刻においても、金剛力士像のようなもの、仁王像のようなものと、観音像のようなものや、弥勒像のようなものでは、「型」が対極である。日本の八百万の神々にこの「型」をあてはめて考えてみても、「八百万の型」がありうるであろう。 ダンテが「神曲」等において、一種のシャーマニズムの過程で彼岸の世界を顕され、日本仏教では、源信が「往生要集」等において一種のシャーマニズムの過程で彼岸の世界を顕され、それらが芸術の基礎概念となったように、神的狂気としての聖なるシャーマニズムを尊重しながら、その内に高度な芸術的洗練を加えて、新生日本ルネサンスの「型」を創造してゆけば、まさに、日本の神々、八百万の神々は、「復活」「新生」されてゆくことであろう。 理念の中には「美」というものがある以上、当然神々は、地上の想像を超えた理想的な美しさを有しておられるはずであろう。そして、神々しい美というものが実在するはずであろう。 八百万の神々の御姿は、かのアキレウス像や、アンティノス像に比べても、芸術的美しさを天上世界で輝かしておられ、それが精神の美しさの自然な顕れであるとするならば、地上においても、理念彫刻として、「真像」として顕現してゆくことが、新生日本ルネサンスの芸術の鍵となってゆくことであろう。そして、それは、古代の神々に限らず、既に神々となっておられる明治維新の志士達をはじめとして、様々に考案しうるものであろう。 理念神像を通して、ギリシャ・ローマ精神と、縄文弥生精神を止揚してゆけば、全く新しい新生日本ルネサンスの華が、春のように、新時代の到来を告げ知らせてゆくことであろう。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |