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| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「文学の形式を通した『統合と個性の開花』の精神について」 |
| 歴代ローマ皇帝に様々な個性の持ち味があられるということは、世界史を観じてゆく上で非常に面白い点である。日本の歴代天皇の中にも、大和精神を「一」にしながらも、様々な個性の彩り豊かな天皇がおられたということは、史実だけではなくて、和歌を観じても発見される日本文化の芸術性である。
そもそも神武天皇の和歌が遺っており、その内容は非常にリアリティーがあって、後世の方の創作であると思うことの方が難しいような素朴な和歌である。戦の時期においてや、恋愛の時期においてこそ、よく和歌が成立しているということは、和歌の原点、言霊の原点が慕ばれる。 そもそも、かの須佐之男命や、大和武命が和歌を創っておられる所をみると、日本武士道の根底には和歌が不可欠であり、和歌こそが真の英雄の条件ではないかと思える程である。かの明治維新の時期でも、明治天皇と共に時代を同じくした明治維新の志士達の和歌には、「万葉集」以上の近代日本芸術精神を感ずる。吉田松陰は当然ながら、坂本龍馬の和歌も、真なる英雄の条件として独自の芸術性を放っている。その和歌の背後に感じられる「魂」の息づかいは、リアリティーの中に、ヒューマニズムの光明を掲げている。 かのローマ帝国にしても、あれ程に個性の彩り豊かなトラヤヌス帝や、ハドリアヌス帝や、アウレリウス帝や、シーザーや、キケロや、セネカ等の一定の形式美を有した詩文が遺っていたとしたら、しかも、同時代の様々な社会的立場の方々の詩文が、和歌のように遺っていたとしたら、巨大なギリシャ・ローマの一大文学となったことであろう。日本の伝統精神の中には、まだまだルネサンスしてゆくべき世界文化遺産が、数多く眠っているのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |