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| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「数学と音楽による理念経営について」 |
| 数学と音楽によって「経営」をしてゆくことは可能であるか。当然可能である。そもそも、数学がなければ「理」がないということなので、「数字」としての「利益」が出ないものである。故に、自覚、無自覚の内に、数学以前の数学によって経営をしているのである。しかし、それを自覚的に数学的論理的に説明できれば、経営が真に「合理化」され、その「理」に則って、万人が経営をしやすくなるであろう。その意味で、数学的経営とは、万人にとって「易行道」であるともいえるのである。
まさに、アルキメデスの「我に支点を与えよ。しからば、地球を動かしてみせよう」という御言葉(ロゴス)は真理である。経営学上の「支点」を発見し、動かしてゆけば、地球が動くものなのである。銀河も、大宇宙も、すべてが動くものなのである。それが「理法」の本質であり、「法則」の本質であり、「理」の本質である。 故に、最至の経営は、数学的経営であるともいえる。音楽にもまた「理」が実在する。故に、音楽と数学と経営学は、本源において、真髄において、本来一致するものなのである。仏教でいう「如来」とは、真理そのものの応化であって、本来その内に、数学と音楽を秘めているものなのである。故に、ピタゴラスのように、数学と音楽によって魂を浄化し、涅槃寂静の境地を探究し、さらには光明荘厳の境地を探究しながら、そのことによって、真なる経営、理念経営をしてゆくことが出来るものなのである。 そして、真なる理念経営は、「理」が本来一つであるから、「政治」にも、「経済」にも、「教育」にも、「科学」にも、「芸術」にも、様々に応用できるものなのである。例えば、ハイゼンベルクの「部分と全体」とは、会社をはじめとするあらゆる組織の生命の論理構造そのものである。 最高の数学的経営が最大の利益を出し、最深の芸術性を奏で、最強の兵法のモデルとなり、最至の天の栄光を授かるものなのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |