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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「アルキメデスが『天之御中主神』を発見されたのは今は昔である」 |
| アルキメデスの発見された数学的基底としての根本実在は「ゼロ」である。これは、プロティノスの発見された哲学的基底としての「一者」と同じであり、日本においては西田幾多郎の発見された論理学的基底としての「絶対無」と同じである。「1」も「2」も「3」も、すべての「イデア」的数字が、「0」(「イデアのイデア」もしくは「イデアの基底」)なくしては実在せず、すべての「イデア」的数字が「0」の中に包含され、一つの体系となっているように、様々なイデアは、哲学的には「一者」に帰一するものである。
それは、神道では神々としてのイデアの帰一する「中」(天之御中主神)という定理で表現されている。それを「統(ス)」という。「統合と個性の開花」の「統(ス)」である。故に根本原理たりえ、諸学の学、諸神の神たりえるのである。神道でいう精神的太陽とは、数学的太陽としての「0」(ゼロ)でもある。すべてのすべてがそこに帰一し、「統(ス)」べられ、「幸え」、「生命」を与えられ、一なる体系として、多なる個性の華を開花させてゆくことが出来るのである。 故に、大宇宙の根本原理(天之御中主神)と名付けられているのであり、それは発見される以前から実在した大宇宙の理法であり、大自然の理法なのである。故に、「天之御中主神」は、数学的に観れば、アルキメデスの「プウ・ストウ」であり、哲学的に観れば、プロティノスの「一者」であり、禅的に観れば、「無」であり、「絶対無の場所」である。あえていえば、太陽の比喩でいわれた所のプラトンの「最善のイデア」でもある。 そして、仏教に説かれている「大方広仏」(ルビシャナ仏)としての「ユニバーサル・ブッダ」である。そして、「エターナル・ブッダ」である。故に、「太陽の国」とは「ゼロ」の場所であり、「ゼロ」が幸ふ国であり、「純粋真理」の幸ふ国なのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |