理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「『易』という運命開拓の視点について」



 「易」というものは容易ではない。難解ではあるが、自然の摂理であるから、万象万物に顕れている。「諸法無我」であるから、すべてが「法」であり、「真我」であり、「神」であり、「仏」であり、「理」である。一つの宇宙が全ての宇宙であり、一つの宇宙を通して全ての宇宙を悟り、知り、動かしてゆくことも出来る。

 かの老子のいわれる「襲明」「明徳」とは、大宇宙、大自然の摂理を真に悟り、知り、動かし、或いは動かさないことである。大自然の摂理たる「天」の御心に心素直になれば、大自然の摂理はその御姿の一端を顕わしてゆく。そして、現象の吉兆に一喜一憂せず、現象の生々流転に対して達観し、なおかつ慎重に歩を進めてゆくことができる。

 勝果の中にも敗因があり、敗果の中にも勝因があり、すべては「天網恢恢」に管理されている。「天道に親なし」といわれているように、「天道」に私心、私情はない。天の理法は公明正大にして幽玄である。故に、「玄徳」といい、「玄牝」という。「易」の原理を真に悟り、知れば、「天の蔵に徳を積む」生き方が常に最善であることが分かってくる。「天」程、最高の管財人はおられないのであるから。

 故に、「天」を畏み、徳を修め、どのような「運命」をも積善によって転じて、「立命」としてゆかなくてはならない。真に光明信念をもって「運命」を開拓してゆかなければならない。「運命を拓く」言霊(ロゴス)を常に魂に抱いて、実際人生を拓いてゆかなければならない。どのような「宿命」の中にも、積善と光明信念の徳によって、天の栄光が華開き、果実が結ばれてゆくものである。「陰隲録」につづられていることは、真理真実である。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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