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| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「真なる『大学』とは哲学家が創るものである」 |
| 日本で永続的に読み継がれているベストセラーに、「論語」と「エミール」がある。一見対極にも思える教育思想史上の古典であるが、真髄は一致している。それは、良心、すなわち「良知」を伸ばし育むということである。それを、儒教の言葉で「格物致知」という。そして、「格物致知」を学び、実践する所が本来「大学」であったのである。
かの森信三は、日本のペスタロッチと評する方もおられる、教育思想史上、今後さらに発掘されてゆくであろう哲人である。神戸大学でも教鞭をとられたという。「修身教授録」は、日本実践倫理学、実践教育哲学の秀逸であろう。日本には、教育哲学を実践教諭して「家」を斉(な)された方が数多くおられる。森信三は「実践の家」を斉(な)され、谷口雅春は「生長の家」を斉(な)された。 「家」(ie)とは一体何であろう。かの神武天皇は、「家」(ie)という理念の創始者でもあられるであろう。小説家は小説によって「家」(ie)を斉(な)され、画家は絵画によって「家」(ie)を斉(な)され、武道家は武道によって「家」(ie)を斉(な)され、建築家は建築によって「家」(ie)を斉(な)される。 哲学者も、独りにて足れりとするのみである時には哲学家ではないが、「家」(ie)を斉(な)そうとされれば、「家」(ie)が斉(な)るものである。故に、フィロソファーの日本語訳は、「哲人」でも「哲学者」でも「哲学家」でもよいであろう。 福澤諭吉も、「居家」「処世」「立国」についても哲理を述べられ、実践されている、日本を代表する「哲学家」であられた。これから後も、哲学を天職として、天命として、様々に人々の魂を育ててゆく「哲学家」が数多く輩出していっていただきたいものである。その「場所」に真なる哲人が居るということが、「家」(ie)のアイデンティティーの源であるのだから。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |