![]() |
||
|
|
||
|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「『神は多くの名前を持つ』の基盤となる 『一即多多即一』の真理について」 |
| かのトルストイは、「聖書」とルソーの書を伴侶にされていたというが、ルソーは、近代におけるメシアであられたといえる。ルソーは、天から授かった「預言」をもとにして思索を積み重ねられ、人々に、人間の尊厳として、心の内に「神の国」が実在することを論じ、来たるべき近代以降の「神の国」について論じておられる点で、近代におけるメシアとして位置づけられてよいであろうが、メシアには、世界史を観る限り、様々な系統のメシアがある。 例えばニュートンは、近代科学にとってメシアであられたであろう。例えばゼウスは、ギリシャ世界にとってメシアであられたであろう。孔子は、儒教世界にとってメシアであられたであろう。そして、天照大御神は、日本世界においてメシアであられたのである。マルクス・アウレリウスも、ローマ世界においてメシアであられ、ゾロアスターも、ペルシア世界においてメシアであられ、メシアという世界精神の顕現は、本来多様でありながら一なる神の御名を象徴されているのである。 「神は多くの名前をもつ」というジョン・ヒックの哲学やエリアーデの神学は、新時代において、もっと普遍的に、新生地球ルネサンスの潮流の中で、新しい哲学、神学としての一大体系を創造してゆく必要があるのではないかと思われる。 そして、一神即一切神、一切神即一神、一真理即一切真理、一切真理即一真理、一民族即一切民族、一切民族即一民族、一国家即一切国家、一切国家即一国家という、「一即多多即一」の真理を基礎として、寛容で、より柔軟な人間観、地球観、宇宙観を創造し、育んでゆかなければならない。 一つの生命が全ての生命につながり、全ての生命が一つの生命につながっているということは、大宇宙の全ての全てを貫く生命の、永遠普遍の論理構造なのである。大いなる叡智こそが大いなる愛であり、同時に、大いなる光明であり、大いなる夢を育んでゆくのである。 |