理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「理念資本主義社会における経営理念の意義について」



 ある特定の哲学思想であっても、その解釈を間違えると全く別の哲学思想として結晶してしまうことがある。例えば、ヘーゲル哲学とマルクス哲学は、観念論と唯物論として全く対極に立つものであるが、マルクスはマルクスなりにへーゲル哲学を主体的に解釈されているのである。

 また、ルソーの「人間不平等起源論」は、フランス革命以前の極端な身分差別の時代に、それを「自然法」の観点から批判を試みられたものであるが、マルクスは、共産革命以前のブルジョワジーとプロレタリアートの階級対立と革命の論理を「唯物論的弁証法」から構築されているものである。

 従って、ヘーゲル哲学もルソー哲学もマルクス哲学も、その時代背景と動機とプロセスと効果において、基本的に別物であると考えてゆかなければ、明晰な研究ができない。

 さらに、ハイエク哲学とケインズ哲学となれば、ケインズ哲学はあくまでも資本主義の論理構造を補完するためにマルクス主義的論理を応用され、実際にアメリカ資本主義の危機を克服されたのであって、これは本来、社会主義とは対極に位置づけられるべきものである。実際ケインズは、株式投資で資産を増やされたりしておられるので、資本主義マインドをもたれていたことは、自明であろう。

 また、一口に資本主義といっても、アメリカにおいては、「プロテスタンティズムと資本主義の精神」に述べられているように、健全な宗教的道徳精神が根底にあるので、本来、精神資本主義とでもいうべきものである。日本においても、松下幸之助の繁栄哲学、経営哲学に代表されるように、精神資本主義の伝統が脈々と流れてきている。

 そして、精神的支柱の本質は、真理にあり、理念にあり、本来大宇宙の理法、大自然の理法にあるのであるから、本来「理念資本主義」が実相であるともいえる。故に、「経営理念」の確立こそが、本来の資本主義社会を支える支柱であるといえるのである。そして、その理法の中には、本来、大宇宙の理法、大自然の理法に則ったものである以上、真なる哲学、真なる思想が求められるものである。

 そして、「経営理念」が本物であれば、本来その会社は、永遠普遍の生命を獲得し、百年以上持続し、「理念資本主義」社会に貢献し、多くの社員や地域社会や国家や世界の人々を物心共に養ってゆくことが出来るのである。

 その意味において、逆説のようではあるが、社会主義的といわれる理想も、結果的によく実現しているといえるのである。真理とは、本来一つであるから、本来あらゆる絶対矛盾が自己同一に「帰一」し、真なる繁栄と平和と幸福と大調和なる世界を育ててゆくのである。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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