理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「哲学の幅を広げてゆくことの大切さについて」



 J・J・ルソーについて思索していると、二つ遺憾に思うことがある。一つは、J・J・ルソーが同時代のアダム・スミスと交流して、経済自由主義について哲学されたらよかったのではないかということと、さらに同時代のアメリカで、信教の自由と言論の自由の下で、明るく、自由闊達に活躍されたらよかったのではないかということである。

 J・J・ルソーは、近代自由主義、近代合理主義の流れに属しながら、同時に素朴な信仰や、実践的な道徳倫理や、文化の多様性を探究された方であるので、後年自由の女神がフランス政府からアメリカ政府に贈られて国家の象徴になったことを考えてみると、当然あるべきシナリオであろう。フランクリンがアメリカからフランスに行かれたように、ルソーがフランスからアメリカに行かれたら面白かったであろう。

 そして、さらに、モンテスキューですら日本の司法制度について言及されている程であるから、ルソーも日本に留学して、その文学的感性でもって、モンテスキューとは異なる独自の価値体系を発見していただきたかったものである。J・J・ルソーは、アメリカを経由してさらに「不思議の国ニッポン」を発見され、「神々の国」日本を、神々が民主主義で自由主義である国として、「高天原にこそ民主主義が最もふさわしい」と述べられたのではないだろうか。本当に「村の占い師」がいて、もっと全世界に奇跡の夢の種子を植えつけていただきたかったと思う。

 このように、どのような哲人であっても、同時代において様々な国を視察し、様々な哲人と交流し、その思索をより柔軟に、より洗練させてゆくことは大切である。少しの違いが、後代になって大きな違いとなって現れ、結晶化してゆくということが、歴史上の真理真実だからである。その時期、その国家の限界はあるが、出来るだけその限界を超えてゆく発見がもてるように、あらゆる「天の配材」を大切にし、積極的にチャンスをつかんでゆくことの大切さを「村の占い師」は語っている。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



このホームページのトップへ 


「哲学の幅を広げてゆくことの大切さについて」 に対するご意見・ご感想などございましたらご遠慮なくお寄せください。
ご意見・ご感想はこちらから