理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「道徳書簡と新時代の文学形式について」



 哲学的思想的書簡というものを文学の形式として再興してゆけば、新しい日本文化を、日本的美意識と日本精神的洗練をもって創造してゆくことが出来るであろう。

 かのセネカの道徳書簡集(倫理の手紙集)は、人格の条件が、最高の知的洗練と文学的格調をもって綴られている。キケロの書簡集にしても、哲学と道徳倫理と芸術と現実的実学が一体となって、一つの文学を創造している。

 近代では、エマソンとカーライルとの間で交わされた哲学的思想的書簡は、世界史上の一大光明芸術の橋を、海を隔ててかけてゆくことに成功している。ルソーの「新エロイーズ」も、書簡集の形式をとった哲学と道徳倫理と芸術と現実的恋愛が一体となって、一つの文学を創造している。日本では、戦後文学における「川端康成と三島由紀夫往復書簡」集は、それ自体がノンフィクションの文学であり、師弟関係と同志的友愛の原点について、深い所から問いを投げかけている。

 日本文化において「手紙」という形式は、永らく磨きあげられてきた文化の結晶である。その中に、日本的な礼の精神も、和歌や俳諧的な芸術の精神も、書道、華道等の精神も、すべてが凝縮されている。

 「手紙」とは、それ自体が一つの精神であり、生命であり、魂である。そして、「手紙」の中に、さらに哲学と道徳倫理と芸術性と宗教的心情が込められてゆけば、世界に冠たる一大芸術として、本来の文化的光明を、全人類に輝かしめることであろう。

 「わび、さび」も、「もののあはれ」も、「幽玄」も、「をかし」も、「大和心」も、「大和魂」も、すべての日本的文化価値を「手紙」の中に顕わし、さらに道徳倫理書簡として、世界史に遺るようなものを積極的に創造してゆけば、その文化的土壌から、全世界に生命の橋をかけてゆく偉人、天才達が、数多く育まれてゆくことであろう。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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