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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「言霊と神剣について」 |
| 川端康成の中に描かれている人間は、「名刀」のような光彩を放っている。それは、三島由紀夫の中に描かれている人間も同じである。 かのイスラム教においては、詩人に対する畏みの大切さということが説かれ、伝統となっている。詩人というものは、言葉の剣によって、ある時期は人を活かし、ある時期は人を殺し、ある時期は人を復活新生せしめる。ある時期は人を病にし、ある時期は人の病をいやし、健康を増進させてゆく。故に、その国の文化は、詩人が如実に表現しているといえる。 故に、詩人をはじめとする文士は、「士」であり、本来武士道が大切になってくるものである。そして、その詩の質は、その技術だけではなくて、心境そのもの、悟境そのものによっても測られるものである。 「言霊の幸ふ国」においては、言霊に対する鋭い感覚が大切である。本来は、詩一つ綴ることは、名刀の一振りと同じであり、名詩は真に活人剣となって人生の運命の開拓をなし、国家の運命の開拓をなし、世界の運命の開拓をなしてゆくものである。 故に、詩人にこそ、本来神聖さの自覚が肝要となってゆく。そして、神聖極まった詩は、かの草薙剣の如く、「神武」を発揚してゆくものなのである。「神武」の伝統は、「言霊の幸ふ国」である日本の伝統の中で、永らく培われてきている。真なる文武両道の道は、「文士」の中にもあり、文そのものの中にもあるのである。 名文というものは、名刀の証である。名文の美しさというものは、名刀の芸術性そのものである。名文の中の真理というものは、名刀の中の真理そのものである。名文の中の剛さというものは、名刀の中の剛さそのものである。生と死と新生の公案は、詩そのものの中にも込められているのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |