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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「魂の記録の内に生命の花が咲く」 |
| 「心花、静裏に開く」という。静かな瞑想の内に記された思索の数々は、限りなく芸術的である。文学的日記の中には、限りなく哲学的、思想的日記もある。 例えば、キルケゴールや、エマソンや、マルクス・アウレリウス等の日記の中には、ほとんど現象的なことが出てこないことが特徴であるが、精神の躍動そのものは、限りなく芸術的な煌きを宿している。あたかも交響曲のように、一語一語の理性のロゴスが音楽的響きを奏でている。 たとえ、そこに文学的装飾が少なくとも、具体的日常の事柄が書き記されていなくとも、そこには確かに生命の花が咲いている。生き生きと花開いている。そして、その思索の過程そのものが、多くの方々の心に果実を実らせてゆく。そして、綴られたロゴスの一つ一つは、永遠の生命をもって、後世への贈り物になってゆく。 かの永遠のローマ帝国が現象的には滅亡した後にも、アウレリウスの生命の息づかいは、「火の鳥」のように、永遠に時代を超えて、地域を超えて伝えられ、今もなお人々の心に魂の糧を与え、人々の良心に光明の炎を掲げてゆく。 エマソンの「たましいの記録」は、まさしく魂の記録であって、心の軌跡が、思想的、文学的に綴られている。そして、エマソンが、その繊細な文学的感性の中で、いかに「自己信頼」を中心とした大楽天哲学にたどりついてゆかれたかということを雄弁に物語っている。その過程は、十代の頃から含めて、一大光明芸術そのものである。ソローの日記であっても、そのユニークな感性と深い洞察力は、アメリカンルネサンスの魂の躍動を、静かに、雄弁に物語っている。 キルケゴールは、日記の中で哲学者として格闘し、生長し、大成してゆかれたことが顕れていて、一編の戯曲を想わせるものがある。このように、日々静かに自分自身の魂を振り返り、「よく生きる」ことを人生の原点としてゆくことは、精神を無限に生長させてゆき、哲人を創ってゆくものなのである。 「文は人なり」というが、その中には、仮面をとったその方の良心と理性の素顔が、夜空の星々のように煌いているものである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |