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| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「『先験的総合』は可能であるという哲学思想が 新生日本ルネサンスの礎となる」 |
| カント批判哲学の認識論の根本問題は、「先験的総合」は果たして可能かということである。すなわち、純粋理性は、経験を超越して理念(イデア)を真に認識できるかという根本命題である。シュタイナーの認識論は、このカントの認識論上の限界を、超経験的な霊覚者であり、かつ哲学者であり、かつ芸術家であり、教育者であるという立場から克服しようと努力された。 シュタイナーの立場に立てば、カントの批判的認識論をテーゼとし、スウェーデンボルグや、ブラバツキー女史等の、時代を画する大霊覚者の現象的認識論をアンチテーゼとすれば、合の立場の認識論哲学思想体系の構築を目差されたともいえる。 教育論の根本を考えるにあたって、理念(イデア)の教育、魂(ソウル)の教育、精神(スピリット)の教育をどのように考えてゆくかということは、極めて大切なテーマである。何故なら、ソクラテス、プラトンが教育の中心に置かれたテーマは、まさしく、理念(イデア)、魂(ソウル)、精神(スピリット)の教育であるからである。 この教育論の根本命題は、日本精神の教育論においても、同様に根幹となるものである。日本的理念(ジャパニーズ・イデア)の教育、大和魂(ヤマトソウル)の教育、日本的精神(ジャパニーズ・スピリット)の教育は、果たしてどこまで可能なのであろうか。 この根源的テーマに最も参考になるのが、プラトニズムへの原点回帰である。アカデメイアへの原点回帰である。そして、日本的プラトニズムの創造と、日本的アカデメイアの創造と、それに伴う新生日本ルネサンスの創造の潮流を推し進めてゆくことが大切である。その意味において、シュタイナーの業績は、土台として大いに役立つことであろう。 本来、正統な哲学思想の中には、理念(イデア)、魂(ソウル)、精神(スピリット)に対する理性的認識が根本に置かれるものなのである。プラトンは、イデアに対する真知をエピステーメとして尊重され、現象に対する知識をドグサとして区別された。 哲学思想においても、学問においても、大学教育をはじめとする教育においても、「理念」(イデア)に回帰することによって、魂(ソウル)、精神(スピリット)を新生させてゆく所から、新時代の真なる道徳と、倫理と、芸術が生まれてゆくのではないだろうか。古事記の神々も、数多くのシャーマニズム的伝統も、真なる哲学への回帰と新生を訴えかけている。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |