理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「実践哲学として宗教的精神を活かす道について」



 様々な古来よりの宗教的精神であったとしても、それをいかに現在の自分自身の置かれた状況や現在の社会環境に合わせて新たに解釈し、実生活に活かしてゆけるかということは、宗教的精神を素材とした実践哲学としての課題である。

 その哲理を応用して、人々が真に幸福になり、真に平和になり、真に繁栄し、真に大調和してゆくという効果を生んだならば、その哲学的応用は、その宗教的精神に新たな価値を与ええたのであると思う。

 その意味において、実践哲学としての人生の生き方を、幅広く様々な宗教的精神の中に探究し、実人生に活かしてゆこうとする心構えをもつことは大切である。そして、実人生に活かしてゆくための哲理を幅広く求めるということに関しては、形式よりも真理の内実を重視してゆく道はある。宗教上の形式にあまり執れることなく、幅広くそれぞれの宗教の「よく生きる」ための哲学を学びながら、それぞれの宗教精神を尊重してゆくことはできる。

 自分自身にとって必要な真理とは、必ずしも真理の全体ではなく、真理の一部分の、時、場所、人に応じたものであることも多いからである。それであっても、真に自分自身の魂の糧となる真理が真にあったならば、自然な宗教感情が湧いてこられることであろう。

 故に、信じなければ救われない、信ずれば救われるという形式にあえて執われずに、自分自身にとって真に救いとなる真理を幅広く探究してゆくことによって、「よく生きる」という姿勢も大切である。たとえ宗教的には形式上不充分であったとしても、何らかの宗教的糧が与えられたということは、実質的に、真理を通して一なる神へと導かれているといえる。

 大切なことは、真理がその方の魂を真に救うということであり、同時に、その方の内にある真理がその方の魂を真に救うということであり、真理こそが宗教的なるものの本質であり、根本的であるということである。

 その意味において、真理は本来一つであり、真理は正しく応用され、活かされてゆくことによって、万人の魂を真に救済し、導くことができるものなのである。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



このホームページのトップへ 


「実践哲学として宗教的精神を活かす道について」 に対するご意見・ご感想などございましたらご遠慮なくお寄せください。
ご意見・ご感想はこちらから