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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「宗教的寛容さと新生ルネサンスの精神について」 |
| 文化の淵源には、宗教的なものがあることが多い。そして、時代の節目ごとに洗練され、新しい価値が与えられて歴史が形成されてゆく。 例えば、キリスト教であっても、ルネサンス期にギリシャ精神に止揚されたり、その後、宗教改革や近代自由主義、そして近代法治主義の下に、法の精神が付加されてゆくことによって新生している。この法の精神については、充分に尊重し、宗教上の理由で犯罪となることをしないというのが、近代以降、現代に到るまで真理であり、今後、新時代においても真理である。 それを前提として、様々な宗教上の信仰の対象となっている神々に対して、その奥にある哲学的価値や、芸術的価値や、教育的価値や、科学的価値等を掘り下げてゆくことによって、いかにルネサンスしてゆくことが出来るかということが課題となる。 古代の神々が、そのままの形でルネサンスされるという例はあまりない。何らかの価値の再発見と新創造がなされなければ、新時代に真に再興されえたことにはならないし、新時代の普遍性をもちうることは難しいであろう。 その意味において、どのような宗教的なものであろうとも、今後は、その奥にある精神を、いかに深く高く広く掘り下げてゆくことができるかということを競いながら、共に新時代に貢献し、共存共栄してゆく道を構築してゆかなくてはならない。 人間として、同時代同地域において文化の多様性を認めてゆくということは最高の愛であり、その奥に実相としての理念を観じてゆくということは、最高の叡智である。 宗教的実在というものは、結局のところ、それを観ずる方の精神に応じて現れるものである。キルケゴールにとっての神と、カントにとっての神と、スウェーデンボルグにとっての神と、ヤスパースにとっての神と、エマソンにとっての神は、本来同一であるのに異なるのは、そこに観じ方の多様性がある証である。 その意味において、それぞれの方の精神性のあり方の違いを、むしろ積極的に認めあい、その個性を尊重しあう程の宗教的寛容さをもつことが、深い所において和解し、共存共栄してゆく道ではないだろうか。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |