理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「真なる学問と哲学の源にある宗教感情の大切さについて」



 信仰心というものは、本来人間を真善美聖の理念の光明へと導くものである。本当の宗教的感情とは、人間の内なる神性、仏性を輝かしめ、良心や理性をさらなる高みに導き、人格の尊厳と真なる自由を全うすることに貢献してゆくものである。近代以降の自由主義、民主主義の時代の流れの中でも、自由主義や民主主義の基礎をつくるものは、健全な宗教感情であるということは、アメリカにおいても、EUにおいても、諸外国における常識であり、良識である。

 かの天使的学者のファウストも、ヒューマニズムと求道心に根ざした健全な信仰心と宗教感情があるからこそ、魂の救済が成立するのである。福澤諭吉のいわれる「天」であっても、そこに健全な信仰心と宗教感情が認められるものである。故に、本当の学問と本当の信仰心というものは、本来両立するものであり、止揚されてゆくべきものである。本当の哲学と本当の宗教感情というものは、本来両立するものであり、止揚されてゆくべきものである。むしろ、健全な宗教感情に類するものが、崇高な学問探究の精神と人格の練磨を生み出してゆくといえるのである。

 かのプラトンであっても、学問の対象として真実在たるイデア(神)を論じる所から哲学を始められている。かの西田幾多郎であっても、哲学的探究の対象として真実在としての神を常に探究されていたし、「絶対無」というものも、実質上神の形而上学的概念である。ヘーゲルの「絶対精神」はもちろんのこと、エマソンの「オーバーソウル」も、神の形而上学的概念である。

 このように、本当の哲人は、神を探究することをもって「真」理を探究し、「善」を探究することによって人格を築き、「美」を探究することによって文化的豊かさを築き、「聖」なる世界に逍遥されているといえるのである。崇高なる宗教感情と崇高なる人格の尊厳こそが真に学問の場に求められ、哲学の場に求められている。多様なる文化が真に共存共栄してゆく文化的土壌となりうる大学の創造が、新しき時代精神を育む場として求められているのである。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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