理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「大和心における平和と調和の哲学について」



 師弟の礼節がない所に、いかなる教育もない。礼節というものは、形の上だけではない。一番大切なものが、精神であり、信条である。礼節の徳というものは、本来平和と調和をもたらすものである。武士道において礼節を学び、教育を通して礼節を学んでゆくことによって、人間は社会の中で平和を維持し、調和を維持してゆくための精神態度を学んでゆく。

 その意味において、まず第一に、師に対する礼節の精神を学ばなければ、学びの場に平和と調和をもたらし、多くの人々の心に対して配慮してゆくことは出来ない。師というものは、弟子、もしくは生徒にとって、その場の中心となるべき存在である。その場における中心となるべき方に対して敬いの心をもたなければ、その場がまとまるのは非常に難しいものである。

 そして、その場がまとまらなければ、他の方々の大切な時間とエネルギーを奪ってしまうことにもなりかねない。そこにあるのは、師への愛と隣人への愛の不在であり、社会に対する愛の不在である。

 大和心の内にある平和の哲学とは、秩序礼節を全うしてゆくことによって、「和」の世界を積極的に創造し、維持してゆくことに眼目があるものである。そのために、その場にふさわしい上下関係と、上下関係にふさわしい愛の具体化をしてゆかなければ、社会全体にとってマイナスの存在になることもあるということを自覚しなければならない。それは、人間が社会的存在である以上、自分自身にとっても確実にマイナスになる生き方である。

 日本国には日本国の秩序礼節があり、平和と調和が保たれている。その他の国々も同様である。そして、その会社や地域社会や様々な共同体に応じた秩序礼節というものがある。故に、よくよく時と所と人を弁え、全体としての調和と平和を思いやってゆかなければならない。

 秩序礼節の根本にあるのは、愛の精神である。「己に克ちて礼に復るを仁となす」という。仁というものを全うするために必要なものが克己心であり、礼に立ちかえることによって、天を愛し、人を愛し、社会を愛し、日本国を、全世界を真に愛し、平和と調和の内に、自由闊達な発展繁栄の道を、大いなる夢の実現の場として歩んでゆけるのである。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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