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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「新生の精神と一大光明芸術について」 |
| どのような過去の誤ちも、真に新生し、償いとしての代償を還元してゆけばプラスに転じ、その過去が一大光明芸術になってゆくことも多いのが人生の真実である。人間は生きている限り迷うものであるが、迷いを通り超えて悟る自由がある所に、真なる人生の芸術性があり、一大光明芸術の基礎があるといえるのである。 大いなる大志をもって過去を前後際断し、新生された方は、ある意味で全く何もない状態から新生された方よりも尊いことがある。何故なら、その中に、人生の深さと幅と厚みが出てくるからである。人生の芸術にとって欠くことのできない深い味わいが生じてくるからである。 この人生の深い味わいは、真なる優しさとなって、一大光明芸術の中で華を咲かせ、実を成らせる。人間である以上、喜怒哀楽のすべてが一大光明芸術の素材たりえる特権を有しているのである。喜びの中にも光明があり、時には怒りの中にも光明があり、時には哀しみの中にも光明があり、楽しみの中にも光明が実在しているものである。 あのマーラーの音楽のように、人生がどのように展開してゆくかは、一断面だけでは想像が出来ないものである。ファウストも、大いなる歓喜の内に天に救われ導かれてゆくものである。その部分部分をとってみれば、一見悲劇にしか観えないものも、もっと大きな眼で観てみれば、一大光明芸術になっているのが、人生の本質でもあるのである。 人間は、大いなる夢を掲げつづける限りにおいて、永遠に若く、大いなる希望を掲げつづける限りにおいて、永遠に青春を生きつづけてゆけるものである。「生」と「死」と「新生」の公案は、あらゆる所にある。あらゆる時代にある。そして、あらゆる人生にあるものである。火の鳥のように、永遠に若き生命を燃やしつづける方が、真に人生に勝利してゆかれるのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |