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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「日本的自己犠牲の精神と武士道について」 |
| 武士道というものの中にこそ真実の愛が生まれるというのは、武士道の中に日本的自己犠牲の精神があるからである。「死」と向かい合う時、人間は自己の有限性を自覚する。自己の無常性を自覚する。自己の無我性を自覚する。「死して遺るものは何か」ということを考え始める。 その答えの一つが、真実の愛ではないだろうかと思い到る。その愛とは、無償の愛である。日本の武士道の切腹の神聖な儀式は、西洋でいうと、イエス・キリストの十字架の神聖な儀式に一致する。その真髄は、真実の愛にあるのである。これを仁徳という。 「義」という正義の内にも、仁の心を忘れないからこそ、仁義の徳となる。日本国の歴史を振り返ってみても、仁義、信義、忠義、節義を忘れた戦いや争いというものは、皆無に近い。それは、リーダー(士)としての道徳倫理の美学が実在していたし、今も実在し、新時代においても実在しているからである。 人間は人の道を通して人間となる。人の道を通して人格となる。そして、人の道を通して神々への道に精進してゆくことができるというのが、古来よりの伝統文化である。 故に、武士道に古いも新しいも本来ない。それは、永遠普遍のリーダー(士)の条件だからである。このリーダー(士)の徳は、政治にも、経営にも、教育にも、科学にも、宗教にも、芸術にも応用し、実践してゆけるはずである。 人間は、一度日本人として生まれ、さらに「武士道」という道徳倫理を通して本当の日本人として誕生してゆく。日本人としての第二の誕生こそが、リーダー(士)の条件である。 「武士道」を通して、真に「魂」を練磨し、新生された方には、美しい神剣と宝冠が天から与えられるという。大いなる後光を天来の証として、多くの真の日本人を育て導いてゆくために。そして、全世界に真に貢献してゆくためにである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |