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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「大宇宙の根本原理としての『天之御中主神』について」 |
| 平凡さの中に非凡さが光っているということは、本来非凡だからこそ出来ることである。すなわち、非凡な天才、もしくは非凡な悟りによって、敢えて平凡さを選択しているのである。これを中道の悟りといい、中庸の道という。 「中」ということは、中間ということとは異なる。右と左を両極端であるとすれば、その両者の中間的妥協点を探すことではなくて、右と左の止揚点、「合」としての統合点を探すことによって得られる立場、それを真なる「中」という。 例えば、秩序礼節をテーゼとし、自由、平等、博愛をアンチテーゼとすれば、その「中」とは、その両者を真に止揚しながら、双方に真理の光明を与えうるような着想、より高次なる発想が「中」の立場である。例えば、ハイエク主義をテーゼとし、ケインズ主義をアンチテーゼとすれば、その「中」とは、その両者を真に止揚しながら、双方により柔軟な真理の光明を与えるような着想、より高次なる発想が「中」の立場である。そして、この「中」の観方こそが、「天御中主神」の「中」道、「中」庸の観方の「統合点」「中心点」であられるともいえるのである。 そして、右と左だけではなく、「未発」の「中」が積極的に実在することによって、右も真に活き、左も真に活き、より一層活発に自由自在な活動をしてゆくことが出来、お互いに足を引っぱるのではなくて、お互いに補い合って、全体としての国益を増進し、より一層洗練された世界貢献をしてゆけるといえるのである。 「中」の立場が右も左も活かし、その初めとなり、その終わりとなり、同時に深い所から生命を幸えてゆく時期、真なる「天之御中主神」という御言葉に込められた大宇宙の根本原理が真に始動し、回天してゆくのである。すべては善くなってゆくしかないのである。 |