理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「議論の本義と効用について」



 議論というものは、本来より一層の高次な止揚された真理を探究してゆくことに意義があるものである。故に、本来の議論が活発になればなる程に、より自由に、より良心と理性と真心に忠実に議論が湧出してゆくような環境を創ってゆけばゆく程に、より高次な、より柔軟な、より堅実な、より豊かな真理が探究されてゆくことになる。

 故に、より個性的な言論程、本来尊重されるべきであるし、一見異端とみえる言論であっても、寛容の精神でもって、少なくとも相手の中にも一片の理を認め、よくよく心空しくして、心の耳を傾ける余裕をもった方がよいであろう。自分自身の個性的な言論を、良心と理性と真心をもって明確に自己表現することも愛であれば、相手の言論に対して、心空しくして、よくよく耳を傾け、その中に一片の理を発見して認める努力は、もっと大切な愛であり、それは、他者を真に活かし、自らを真に活かす道であるといえる。また、自国の個性的な言論も、良心と理性と真心もって自己主張し、他国の言論も最大限に心空しくして耳を傾けることも大愛である。

 ソクラテスの対話篇であっても、問答形式をとって、問答形式によって、より高次な真理を探究してゆくものであるといえるし、ヘーゲルの哲学における正反合、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの真理の弁証法的発展も同じ原理である。肯定も否定も、一見相対立する見解が、議論を通して、より高次な真理を探究してゆく所に意義があるのである。

 故に、本来議論とは、相手の足を引っぱり、無理矢理、自己の意見を押し付けることではない。自他共に、寛容の精神をもって礼節を尽くし、尊重し合い、より高次な真理を産み落としてゆくように、より建設的な、より積極的な、より柔軟な提言を行ってゆくことが、大愛の道であり、真理探究の道であり、大調和、大繁栄の道なのである。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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