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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「道徳倫理と哲学者たることについて」 |
| 道徳倫理について論じるためには、まず「善」とは何かということが探究されなくてはならない。「善」とは何かということを知るためには、まず「よく生きる」ことが大切である。「よく生きる」ということは、己が良心に基づいて思索しながら生きるということである。 良心というものは万人に等しく与えられているが、その掘り下げ方磨き方において、聖人と凡人の良心の輝きは、天と地程の差が出る。すなわち、良心の輝きそのものが、人生における最高の宝石の一つなのであり、万人が良心を掘り下げ磨きつづけながら、常に「よく生きる」ことの過程で、人生を真実なる宝石として結晶化させてゆくことが出来るのである。 そして、各人に様々な個性があり、環境があり、経験があり、知識があるように、良心の宝石もまた、様々な輝きの可能性をもっている。故に、「善とはかくあるべきである」という特定の格率があって、それを鵜呑みにする必要はないし、あえて鵜呑みにしない方がよいともいえる。何故なら、特定の格率を鵜呑みにすることによって知性の奴隷となり、自ら思索し考え抜いた真理をもとに「よく生きる」ことの自由と、精神的知的独立性を見失ってしまうことが多いからである。万人が本来自らの知性の主人となり、自らの人生の実践の中で考え抜き確信するにいたった信条のもとに「よく生きる」時に、本当の個性的人格の価値が生まれるからである。 故に、「国民の道徳」的なものは、必ずしも教科書として受けとめる必要はないし、特定の格率として自らを縛る必要はない。当代一流の見識として謙虚に受けとめ尊重しながら、同時に、それを参考書として、自らの良心と、良心の自然な要請による、実人生の中で汲み取った自分自身にとって真に救いとなる真理をもって「よく生きる」ことが大切である。道徳倫理の世界においても、本当の意味で哲学者たることが、真に自由な社会に生きてゆく上で、最も求められているのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |