理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「清貧の思想と清豊の思想」



 ストア哲学などでは、欲望を抑えるための哲学的思考というものが中心であった。故に、名誉欲にしても、いかにそれが無常に変転してゆくものかを見抜き、名誉欲に心を奪われないようにするという、いわばストイックな考え方が主流であった。

 しかし、光明思想においては、中心を名誉に執われないことではなく、名誉を与えられたことに対する感謝に置き、さらに、名誉を手段として、大いなる愛の実現を考えてゆくという、目的の正当性の中で肯定的にとらえ、正しい名誉欲の追求を考えてゆくのである。

 これは、ストア哲学的考え方が清貧の思想であるとすれば、光明思想的考え方は清豊の思想であるといえるかもしれない。特に、これが金銭欲になると顕著であろう。

 ストア哲学的には、巨額の金銭によって心を支配されて、心の貧しい生活を送っている場合もある反面、少ない金銭でも、金銭欲から自由に心豊かな生活を送っている場合もあることなどを哲学的に洞察して、金銭に執われない心豊かな生活の大切さを説くのであろうが、光明思想的には、大きな経済力があることは、大いなる夢を実現するための基礎力として大切であると、経済力も、経済力を求めることも肯定し、結局のところ、大いなる夢の実現という目的が正しければ、その手段も正しいという考え方をする傾向にある。

 比べてみれば、前者が清貧的思考であり、後者が清豊的思考であるといえるし、前者が金銭に対する執着から心を解放することに主眼があるのに対し、後者は金銭をいかに有効に使って大いなる目的を達成できるかに主眼がある。比較してみるに、前者もよい所があるが、後者でなおかつ心を清らかに保つことができるならば、現代の経済社会にはより適応した考え方であるといえよう。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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