理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「偉人と肖像について」



 かつてプロティノスという哲学者は、自分の肖像画を描きたいという方に対して、自分の肉体でさえもイデアの影であるのに、その影の影を描いて何になるのかといって断られたそうである。

 確かに、単純にイデア論からいえば、絵画とは、影の影にすぎない消極的なものでしかないといえるであろうが、私は、その見解にも不充分な所があると思う。

 私は、人間の人格は、必ずその風貌にも反映して顕れるものであると思うし、その風貌を通して、その方の偉大性に目覚める方もおられるであろうと思う。

 さらには、偉大な方の風貌というものは一種の芸術作品であって、その方の人格が自然につくり出した最高の芸術の結晶であると思う。ただ単なる美醜を超えて、崇高なる人格の美がそこに顕れている。

 そして、絵画とは、写真よりもより一層人物の本質を描き出す所に本質があるので、その画家の眼力の及ぶ範囲で、その偉人の本質を深く高く描き出すことができるのである。

 故に、偉人の肖像画を創る場合は、その偉人に匹敵する眼力を備えた画家を選ぶ必要があることは確かである。どのような画家も、自分が真に観えること以上のものを描くことはできないからである。故に、同じ偉人を目前にしても、様々な画家によって、その偉人像も様々に描かれる。それは、そこに、その画家がその偉人に発見したものが、それぞれ違うからである。

 願わくば、偉人を描く場合は、その偉人の最高の長所を観ずる力のある方が、その偉人の長所の本質をより端的に顕わすように絵画に描いていただきたいものである。

 偉人の長所、偉人の本質を描いた絵画というものは、それを観るだけで、心を崇高なるものへと飛翔させることができる。

 もしも、このようなプロティノスの名画がのこっていれば、それはイデアの影の影というよりは、プロティノスのイデアをこそ描き出したものとして、数知れぬ人々に心の糧を与えたのではないだろうか。

 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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