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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「美しい言葉について」 |
| 言葉の美しさの本質とは、何であろうか。よく言葉面だけを美しくして話したり書いたりする方がおられるが、どうしてもそれが虚飾のようにみえて、本当に心が感動することはない。 私達が言葉の美しさに感動するのは、その背後にある所の、その人の心の美しさ、人格の美しさに感動するからである。 故に、まず思いがあり、それが自然に言葉にあらわれてゆくわけであるが、思いを言葉にあらわして、それがそのまま美しいというのが理想である。故に、言葉を美しくしようと思ったならば、言葉面そのものよりも、その内実である心そのもの、人格そのものを美しく磨かなければならないのである。さすれば、自ずから美しい言葉を選んで、話せるようになるのである。 美しい言葉というものは、それ自体、一曲の音楽のように聴こえる方がおられる。一貫して、調和のとれた美しさ、しかも高雅な、明るい、やさしい言葉づかいの方がおられる。こうした方は、心情自体が崇高なる境地におられるのであろう。 また、かの孔子やキリスト等の聖人達の発せられた言葉は、何と尊く、美しく、格調高い音楽を奏でておられることであろうか。彼らは、言葉そのものの修辞学を習得されたからそうなったのではなく、あくまでも、崇高なる境地に心があられたからこそ、至高の美しい言葉を話すことができたのであると思う。 彼らは、詩人という意味においても最高の詩人であろう。詩の奥義もまた、至高の美しい心境をつくるということにあるのではないかと思う。 美しい詩というのは、限りなく自然である。それでいて、天衣無縫の美しさ、芸術性を放っている。私達の常日頃使う言葉というものも、一つの芸術であり、一つの道である。それは、至高の美しき心境に向けて限りなく心を磨いてゆけば、限りなく美しく光輝くものである。 このような生命に光輝く美しい言葉のことを、古来より日本では、言霊として尊んできたのであろう。このように、美しき言葉とは音楽であり、詩であり、言霊であり、そして何よりも、美しき心そのものなのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |