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|---|---|---|
| 「哲学的コラム」 | ||
| Japanese Dream Realization | ||
| 「哲学的情熱について」 |
| 哲学者に情熱は必要であろうか。一見、哲学者は、冷静に物事の本質を洞察してゆくのが通常の姿であり、情熱という言葉と似合わないような感じを受ける。 しかし、哲学者が哲学者の使命に目覚めるということは、あらゆる現象にとらわれず、その奥にある真理そのものを追究してゆくという点において、最高の情熱を発揮するものなのである。 まさしく、真理とは、自己がそのために生き、そのために死するものであり、自己の究極の生命そのものであり、真理とは、「汝自身を知れ」の答えにあたるものなのであり、人生の目的と使命そのものであるといってもよいものなのである。 故に、本当に真理を把握せんとする自己の使命が動き出したならば、哲学者は、他の何者にもまして、熱く熱くならざるを得ないのである。「真理のために生命を捧げる」と古の賢人は自らの思想書の序に書かれたが、まさしく、真に真理の追究というものに目覚めてきた魂は、かかる境地になってゆくのである。 通常の理想は情熱を抱かせるものであるが、真理とは、それが理想の極致であるが故に、最も深く高い情熱を湧き立たせるものなのである。故に、かかるものに、哲学者は自らの生命を賭けることができるのである。全身全霊をかけることができるのである。 このように、生命を賭けて哲学してゆくことこそ、哲学者の本来の姿であり、自己の哲学的使命に真に目覚めたものの当然の姿なのである。 かかる哲学的情熱こそが、真なるエロスである。真なるエロスとは、このように限りなく純粋であり、限りなく崇高であり、そして限りなく熱いものなのである。 あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |